今日8/15はお盆、そして終戦記念日。
8回に及んだ大阪大空襲、焦土と化した大阪市。死者数千人、約五十万人が被災したそうだ。
父はその空襲で、防空壕への避難も虚しく、燃え盛り焼け落ちる市中を命からがら逃げ惑い、
両親は高度経済成長を支え、マイホームを3軒次々と建てて家族と共に移り住んできた。
この焼け野原から始まった戦後のガムシャラな住宅の濫造がひと段落し、
戦後百年に向けてようやくホンモノの家づくりができるようになってきた今。
こんどは今を生きる私たち一人ひとりが二度と戦争をしない平和を守っていかないと、
家づくりどころではなくなってしまう。
さて、昨日まで夏休みもとらず区切りのいいところまで!と
造作作業を頑張ってくれていた大工さんたち。
今日~明日とやっとお盆休みに入りました・・・って、土・日やん!
これでは若手くん、愛媛に帰省にしてる間はないねぇ・・・コロナ禍で大阪からは帰れない?
で、今週はどこまでできたかというと・・・。
先週土曜日から若手くん一人で始めていた、浴室手前の脱衣・洗濯場の壁。
ここ(写真右)には洗濯機を置きます。浴槽に風呂水ポンプがサッと届くところ。
壁は塗壁仕上げではありません。荒壁の上に下地を入れて、羽目板張りにします。
ここは水気・湿気が多いので、樹種はサワラ(椹)の無垢材。
ヒノキ科ですが香りはほとんどなく、水に強い木です。
本実(ホンザネ)加工をしてある羽目板を接いでいくのは私もDIYでやったことがあるので
軽く考えていたのですが、一枚一枚丁寧に鉋をかけて微調整しながら隙間なく・・・
さすがプロは違います。下地から板を張り終えるまで実質4日間の手間、水曜日に完成!
その8/12、棟梁は、脱衣場の隣りの、洗面化粧台が設置されるところと、
トイレとの仕切の壁の下地を作っていました。
洗面化粧台と背中合わせになるトイレの手洗いカウンターも設置。
奥行30cmほどのスペースに、美しい桜の無垢板が・・・カッコイイ!
ここは変形トイレなので、取り合いがものすごく難しいところ。しかも梁の丸太が出てる!
ここは変形トイレなので、取り合いがものすごく難しいところ。しかも梁の丸太が出てる!
もひとつ棟梁は、2階の手洗い場のカウンターの製作。
桜の無垢板にシンプルなTOTOのボウルと水栓を組み合わせてくれました。
翌木曜日には亜麻仁オイルでピカピカに磨かれて、杢が浮かび上がって美しい。
ヘタすると信楽焼か何かに、古民家カフェとかによくある感じになりそうなところですが、
ゴテゴテと濃くなり過ぎないようにと思って・・・と棟梁。
私たちと感性が同じで良かった! またひとつお気に入りポイントになりました。
8/13(木)には、棟梁が、7/4「出窓の木組み造作・・・」の稿と
8/9「板金屋さんの手仕事~ガルバリウム鋼板葺・・・」に載せた
2階の造作出窓の屋根のところに、天井裏になるような下地材を取り付けました。
そして、桐の板を下地にして、
赤杉で自作した薄板で何やら網代のようなものを編んでいました。
これ、もしかして出窓の・・・?
そう、昨日8/14、それが出窓の天井に取り付けられました!
そう、昨日8/14、それが出窓の天井に取り付けられました!
敢えて西陽の射す方向に淀川方向への見通しのために付けた出窓。
木・金と2日がかり。お盆前の1年でいちばん暑い時季の西陽を浴び続け、
いくらLow-E遮熱型複層ガラスでもさすがにバテたんじゃないでしょうか。
ここは外側に木製の格子が入り、紙障子も入るので、最終的には適度な日射遮蔽ができますが、
今は写真でも分かるように見通しがすごく良くて、西陽のフレアが眩しい!
ここは夕陽をボーっと眺めるために付けてもらったこだわりの出窓だけに、
棟梁渾身の美しい手作り網代を据えてもらって、感激です!
昨日は若手くんは、1階トイレの腰壁の下地作り。
下地材を取り付けるため、荒壁土を少し削って壁の厚みを調整しながらの作業。
中空の室内壁にボードを打ち付けるのとは桁違いの手間。
一部だけ羽目板をはめるところまでで夕方6時になってしまいました。
というところで、今週は金曜日でお終い。
来週からは、左官屋さんが壁土の中塗りに入ったり、
大工さんが外壁の赤杉板を張っていったり・・・。
9月中にはいよいよ足場が外され、全貌が見えてくる予定のようです。
今日明日、束の間(※)ですが、ゆっくりお盆休みを楽しんでくださいね!
今週もお疲れさまでした。
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