一昨日から石場建て伝統構法の新築現場は、無垢杉外壁材張りが始まっています。
で、先週までずっと晴れていたのに、ここに来て夕立が降るようになり、
屋外での作業はなかなか進まず、困ったものです。
そのことについては、過去稿でも何回か触れています。
そしてそれらはだいたい、HEAT20だのUA値0.46だの、大絶賛中です。
高気密高断熱住宅について書かれた本も、次々と出版されています。
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高度経済成長期から近年にかけて粗製乱造された建売りを中心とする低品質の家が大半の今、
これらはとても重要な家づくりの要素となっています。
ではあるのですが、これら高気密高断熱を一辺倒に賛美する風潮を見ていて、
一方で何か腑に落ちないモヤモヤを、ずっと感じているのです。
HEAT20 G2の0.46と2020年基準UAの0.87と0.4差を競って、
C値は最低0.5未満必須で省エネ基準5.0未満ではダメとか、
機械換気システムがないと換気できない家とか、何なん?・・・と。
そもそも住処としての家には、
それだけではないもっと根源的に大切なことがあるんじゃない???
そんなこんな思いを巡らしていて、
1957(昭和32)年の論文なのでいささか古い価値観も見受けられるかもしれませんが、
言わんとするところは現代にも通用する名著! 概ね妥当な趣旨だと思います。
文明の生態史観 ほか (中公クラシックス) [ 梅棹忠夫 ]
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その主旨をものすごく大雑把に言うと、
いわゆる旧世界、ユーラシアの東西両端に高度の近代文明国となることに成功した地域があり、
それが日本と西欧である。
これを「第一地域」と、その間の広大な地域を「第二地域」と名付け、
両者の間には顕著な発展格差があるとするものです。
そして第二地域の歴史は、だいたいにおいて破壊と征服の歴史であるとし、
> この見方を「文明の生態史観」というのは、
> 生態学の用語法で文明史を観察し記述したということである。
>「遷移」と訳されるサクセッションは、ある特定の場所に生まれた植物群落が長期間をかけて、
> その場所の気候条件などに適応しつつ、次第に別の群落に変化していくことを指す。
> 新しい群落としてこれが定着した状態が「極相」(クライマックス)である。
> 第一地域というのはちゃんとサクセッションが順序よく進行した地域である。
> そういうところでは、歴史は、主として、
> 共同体の内部からの力による展開として理解することができる。
> いわゆるオートジェニック(自成的)なサクセッションである。それに対して、
> 第二地域では、歴史はむしろ共同体外部からの力によってうごかされることがおおい。
> サクセッションといえば、それはアロジェニック(他成的)なサクセッションである。
引用を読むと難解かもしれませんが、要するに、
日本は文明という観点からはアジアの範疇というより、
これはつまり、これまで歴史では文明というものは、
そう考えれば、両者の封建社会から近代国家への段階的発展も、
日本が明治維新後たった半世紀で西欧列強と比肩する段階に達することができたのかも、
理解しやすくなります。
日本と西欧は工業生産において同じようにマニュファクチュア(工場制手工業)の段階に達し、
日本の近代化は、既に江戸時代までにオートジェニック(自成的)に相当段階まで進んでおり、
その素地があったからこそ西欧文明を容易に取り入れることができたということです。
前置きが長くなり過ぎましたが、
そう「文明の生態史観」的に考えると、江戸時代までの日本の科学工学技術は、
決して西欧のそれに「劣って」いたわけではないということで、
そのことは既に実証的に研究が進んでいるようです。
生態史観的に2大文明の双極である日本と西欧の科学工学技術は、
それぞれ遠く離れたユーラシアの端と端で独自に発生し発展したものであるが故に、
同じ哲学や人文学や宗教観や自然観の土俵で構築されたわけではありません。
それぞれ遠く離れたユーラシアの端と端で独自に発生し発展したものであるが故に、
同じ哲学や人文学や宗教観や自然観の土俵で構築されたわけではありません。
ところが日本人はそのことを抜きに、西欧文明をコンプレックスをもって取り入れていくことで、
これまでに日本人が積み上げてきた叡智を否定的に捉えてしまったのではないでしょうか。
明治以降、西欧の建築学を学ぶにあたり、日本人は古来の建築技術や建築哲学は
日本の建築は、石の上に載せているだけの弱いもの。
筋交など斜め材がなく、剛性欠く構造の弱いもの。
釘も使わず木を組んでいるだけの、石積み煉瓦積みに劣る弱いもの。
極東のアジア人の作るものは、文明の遅れた劣ったものという先入観が前提になっており、
その価値観を日本人も自ら進んで受け入れていったのです。
けれど、日本の建築が根本的に劣っているなら、
千三百年前の法隆寺が残っているでしょうか?
四百年前の姫路城が残っているでしょうか?
築百年以上の古民家や町家が幾多も残っているでしょうか?
・・・度重なる地震や台風を乗り越えて!
堅い建物を地面に緊結して石積み煉瓦積みで外界から閉鎖的に造るのは、
西欧ならではの気候風土とそこから生じた哲学があったから。
粘りのある建物を礎石に載せて木組みと土壁で外界に開放的に造るのは、
日本ならではの気候風土とそこから生じた哲学があったから。
それぞれの地域の特性に最適化した建築技術が並立発展し、
日本と西欧とでそれぞれの近代文明圏「第一地域」を形成した・・・。
日本の建築が劣っているなら、
自然について、
「西欧文明は」、人間が支配するもの、対峙するものとして、対立的に捉えるようです。
「日本文明は」、人間はその一部、服属するものとして、調和的に捉えます。
そのことが、西欧の家の高気密高断熱仕様を生む必然でしょう。
家は自然の影響を受けない外界から閉ざされたものでなければならない。
だから壁は分厚くないといけないし、窓は小さくないといけないし、暖かくないといけない。
日本の哲学からは、家は自然を感じることのできることが必然です。
であれば家は外とつながっている構造でなければならない。
だから身近な木と土でつくり、開口部を大きく、陽射しを遮り涼しくないといけない。
けれど、だからと言って、どうして日本の家は「遅れている!」と言えるのでしょう?!
土俵が違うと言えば、気候という土俵も全く違います。
気候区分で言うと、西欧(南欧を除く)は、冷温帯(温かさ指数45~85)、
土俵が違うと言えば、気候という土俵も全く違います。
気候区分で言うと、西欧(南欧を除く)は、冷温帯(温かさ指数45~85)、
日本(東北・北海道を除く)は、暖温帯(温かさ指数85~180)。
東京とベルリンの雨温図を重ねたものを見ても、違いは一目瞭然!
これでどうして、日本の家は遅れていると単純に言えるのでしょうか?
これでどうして、日本の家は遅れていると単純に言えるのでしょうか?
日本の家が西欧の家より遅れているとするならば、それは、
西洋コンプレックスから日本の伝統的建築構法の科学的解析がなされなかったから、
決して日本の本来の伝統的建築構法が「遅れている」わけではなく、
中途半端な西欧化と安直さと安上がりの追及が「遅れを招いている」のではないでしょうか。
なのに法的には、石場建て伝統構法は建築基準法の適用外となっている。
中途半端な西欧化と安直さと安上がりの追及が「遅れを招いている」のではないでしょうか。
なのに法的には、石場建て伝統構法は建築基準法の適用外となっている。
巷では、「ドイツのように進んだ!」高気密高断熱化が喧伝されている。
そしてUA値やC値などの数字を、0.幾ら単位でチマチマとオタクの域で神聖視し競っている。
けれど日本は、生態史観的に同じような歴史を歩んだドイツとは2大文明の双極にあって
そもそも価値基準や設計思想などが異なっているわけで、
日本の家の基本性能は、高気密高断熱それだけでは語れない!
そもそも価値基準や設計思想などが異なっているわけで、
日本の家の基本性能は、高気密高断熱それだけでは語れない!
日本の家は、外とつながり、自然を感じることができること、
機械に極力頼らず、自然の恵みを最大限生かして採涼・採暖できること、
そして化学物質に健康を侵されることのないこと。
これらが担保されていることこそ、日本の家の根本的な基本性能だと考えています。
高気密高断熱住宅は、冷涼な西欧と気候の似ている北海道から始まりました。
北海道では、日本古来の家の建て方を移入しても冬は寒すぎて、
その意味で、そんな流行りにブレない価値観を持つ建築実務者の運動もあって、
気候風土適応住宅という枠組みが公的にできた意味は大きい。
小数点以下の数字を競うだけの高気密高断熱住宅をただの流行りにしないためにも、
家を建てる地域の生態学的観点で、今一度見直すときに来ているのではないでしょうか。
今週も日中は連日35℃を超える猛暑が続くようですが、今夜は28℃ほどで、
もう窓を開けて扇風機を点ければ、夜中じゅうエアコンを点けておく必要はなくなってきました。
高気密高断熱も何もない築五十年の、以前は当たり前だった土壁の古家。
窓を開け外とつながることで、地域の自然環境を感じながら快適さを得ることができています。
それが日本の風土から、何千年にも渡る歴史の中から生まれた住哲学。
なにも外界から閉ざすことを旨とする西欧哲学に基づく住まいだけが価値ではないと思うのです。