箱に閉じ込められる家からの解放 ~ アフターコロナ/未来の暮らし・・・隈研吾さんの語りに思う
今年の東京オリンピックが新型コロナウィルス禍延期で延期になり、
隈研吾さん設計の新国立競技場が宙に浮いている。
そのスタジアムの建設にあたり、
住民が困窮しているという訴えが建設中に現地から上がりました。
隈研吾さんの設計は、巨大建築に国産木材を多用した画期的なものですが、
建築を請け負った企業がこれでは・・・。
私たちの家のコンクリート基礎の型枠も、
当時のビルのコンクリート打ちっぱなしの壁面に木目が浮いているのを見かけると、
この大量伐採の後に植樹した杉が今ちょうど樹齢半世紀、使い時です!
人手不足等で間伐されずに大量に放置されている杉も含めて、
目先の南洋材の安さにとらわれず、有効利用したいものです。
・・・またまた、のっけから脱線!
隈研吾さんが、外と遮断された箱としての建築を反省し、
これからは外との繋がりを大切にする建築を目指したいというようなことを、
おっしゃっていた件。
それで、もう一度見返したいと思って検索してたら、
5/1にテレ東NEWSで語ってらしたYouTobeが見つかったので、紹介します。
>・・・依然として都市 建築は 大きな箱の中に人間を閉じ込め
> 大きな箱の中に空調をして 人間をその中でコントロールしてきたわけです
> われわれはもっと自由になるべきだと思います
> そして室内にこだわりすぎた これが20世紀の問題だと思います
> 人間はこの気持ちの良い自然の中に もっと出ていくべきです
> もっと自然と一体になって働き 住むことができるわけです
> そのような形で自然と近づいて もう一度健康を取り戻し 自由をとり戻す
京町家の路地(ろうじ)の屋外とも屋内ともつかない生活空間も取り上げていました。
さらにYouTubeを見ると、
>・・・教育の場も箱に毒されている
> 教室って箱に並べられて 試験させられて箱の中で競争させられる
> そのOS(しくみ)のまま会社にいって箱に並ばされて
> 競争して出来ない人は追い出される
> そのOSが社会の全てに渡って毒してきている
まさに私の職場の学校・・・真っ白なコンクリートと石膏ボードに囲まれ、
ほとんど隙間しか開かない窓で24時間換気装置が稼働しており、
ホルムアルデヒド検査が毎年おこなわれています。
エアコン空調を前提に通風を一切考慮しない設計のなか、
新型コロナウィルス対策として最大限5cmほど窓を開けています。
> 今回のコロナウィルスは われわれに
>「箱からの解放」「室内からの解放」を求めているような気がします
> 自分で自分の住まいをどうデザインして・・・
> 自分にあった住まいのデザインを自分が出来るのかが問われてくる
何を今さら・・・そんなことは新型コロナウィルス以前の問題!
そんなふうにも思えてしまいますが、
世界的な建築家の隈研吾さんが発信してくださったということは、
影響力がかなり大きいと思います。ありがたいことです。
日本の住宅の寿命はせいぜい三十年と言われますが、
本来住宅も含め建築は世代を越えて残るものですから、
百年は先を見通し、未来を創るものでなければならないと思います。
家という箱を外界から閉ざし、
機械空調や電気照明に頼る開放する窓の要らない家は、
その観点からはどうなんでしょうか。
私には、刑務所のイメージ・・・。
私には、刑務所のイメージ・・・。
浴室の窓をきっかけに、話しがどんどん大きくなってしまいました。
今晩の枚方は、けっこう本降り。
Yahoo!天気によると18時の時点で降水量11mm、東北東の風2m/s。
仮住まいの実測値で、外気温20.4℃、湿度85%、
家の中は23.4℃、72%、不快指数71.6(暑くない)。
築50年、断熱材なし土壁モルタル外壁。
軒もケラバも、どの窓にも庇があるので、
風がこの程度なら雨でも窓は開けっ放しで快適です。
こんなとき、
軒もケラバも庇もなく窓を開けられない高気密高断熱の家では、
エアコンをかけているのでしょうか?
私は、そのような家でどう暮らしていいか想像がつきません。
こんなときでも私は、
外と繋がっていたいです。
雨の音、雨の匂い、雨の湿気・・・雨の楽しみ。
今日は雨のなか、今夜の大降りに備えて
最後まで手付かずだった窓、木製造作出窓にサッシを入れてしまわないと!と必死の棟梁。
何とか夕方には窓がつきました。
雨の音、雨の匂い、雨の湿気・・・雨の楽しみ。
今日は雨のなか、今夜の大降りに備えて
最後まで手付かずだった窓、木製造作出窓にサッシを入れてしまわないと!と必死の棟梁。
何とか夕方には窓がつきました。