大阪で伝統構法の家づくり!・・・石場建て/木組み/土壁 ~今さらマイホーム新築

五十代も後半、自宅を再建新築。 今さら住宅ローン!建売りのローコスト住宅か…。 で、行き着いたのはやっぱり自然素材、地元の工務店。 手刻みの材木、金物をほとんど使わない躯体、美しい木組み。 間取りの打ち合わせがほぼ終わった頃、棟梁がつぶやいた。 「ホンマは石場建てがエエんやけどなぁ・・・。」 「えっ?石場建てってなんですのん?!」・・・ 家造り、伝統構法について、発信していきます。

ついに階段完成 ~ 木組みの家の手刻み地松スケルトン階段

今日8/6は75年前に広島に世界初の原子爆弾が投下された日。
いまだに核兵器は廃絶されず、隣りの国は今まさに増強している。

石場建て伝統構法がいかに耐震性が高くても、いかに長期優良住宅であろうとも、
核兵器どころか、沖縄戦の鉄の嵐のような艦砲射撃や大阪大空襲でさえひとたまりもない。

人間による災禍こそ、近年の自然の猛威による災禍の比ではない恐ろしさ。
自然災害は人の意の及ばないところであるが、戦災は人の意図するところによるもの。

戦後の焼け野原からの復興でがむしゃらに質の低い家を建てまくった時代を経て、
ようやく住宅建設において「戦後」が終わり耐久性の高い家づくりが始まった今、
それができる平和の尊さを改めて噛みしめ、平和を守るべきときであろう。

さて、8/6ということで前置きが長くなり過ぎました。

7/26以来十日間ほど途絶えていた投稿ですが、
この間も大工さんは2人で地道に室内の造作作業を続けていました。
何せ7/26「​大工工事 ~ 再開2週目後半4連休・・・​」の稿でも述べたように、
現場合わせの緻密な手作業ばかりの工程ですから、ものすごい手間がかかっています。

そのなかでも目立って大きく「でき上った!」と目を見張るのが、
昨日8/5についに地松製のスケルトン階段が完成したところです。

階段の手前に立ち階段を堂々と支えるのは、栗の変木柱。
玄関に上がるとすぐにこれが目に飛び込んでくるという実用兼意匠を狙って、
日伸建設​の倉庫の奥に長年眠っていたものを引っ張り出してきてくれました。

7/23に搬入されていた階段の部材。棟梁が​​日伸建設​の工房で手刻みしてきたものです。


四連休の最中の7/25(土)から始まった階段の支えの取付け、
週明け7/27(月)にはコの字型階段の中間折返し部分の架台も付けられました。


下から踏板が据え付けられていきますが、
段によって微妙に大きさを変えなければならないなど、想像以上に手間です。


折り返し地点は、踏板を斜めにカットせず、踊り場にしてあります。
施主の私たちがもういい歳なんで、老後のためにと安全を見込みました。
そのぶん段数の割り出しが難しく、踊り場で半畳分ずつ1段上るので、これも大変!


8/3(月)、後半上半分の架台を取り付けます。
ここは玄関式台から上がり框の引込み戸が引き込まれる戸袋と重なっています。


こうしてほしいと最初にメモ図面を棟梁に渡したら、
棟梁が「できる」と言うもんで軽く考えていたのですが、
その取り合いがこんなにものすごく難しいものだとは・・・すみません!棟梁。

8/4(火)最後の一段を残すのみ!

といっても、柱や梁の木組みがあっちこっち出っ張っているので、
鋸で切ったり、鑿でハツったり、鉋で削ったり、微妙なところを合わせていきます。

そして8/5(水)ついに最後の1段・・・これがまた半畳分!
ものすごく複雑な取り合わせの階段になりました。
とはいえ、私たちの老後や幼児の孫の安全に配慮されています。

2階のホールから出たところの半畳分の廊下(写真左上)から、
まず1段下りた半畳分で左に90°向きを変えます(写真右上)。
5段下りて半畳分の踊り場で90°向きを変えて、
1段下りてもひとつ半畳分の踊り場で90°向きを変えて、5段下りると1階。

トーン・トントントントン・トーン・トーン・トントントントン・トーン♪の12段。
この階段室、ちょっとした籠り感があって、風通しも良く、本を読むのにも良さそう。

階段下はちょっとした収納スペースにもなりますが、
小さな横滑り出し窓も付いているので、昼間は真っ暗にならず、
ケルトン階段と相まって通風も確保されています。

実質9日間かかった大労作の階段。
格好も使い勝手も、大満足です!