有吉佐和子が今から45年も前の1974年から翌年にかけて、
新聞紙上に連載した同名の小説による言葉です。
> 本作品は環境汚染問題について社会に警鐘を
> 鳴らすことを目的として書かれた。主な指摘は、
>
>・農薬と化学肥料使用が農製品と生態系に与える悪影響、
> 及び有機農業、共栄作物利用の試みの紹介。
>・界面活性剤を含む洗剤使用の人体及び生態系への悪影響。
> 石鹸がより安全であること。
>・合成保存料、合成着色料など食品添加物使用の危険性。
>・自動車エンジンの排気ガスに含まれる窒素酸化物の危険性。
>・上記の化学物質が生体濃縮で蓄積されていく過程。
>・化学肥料開発と火薬開発の並行性。
> 化学合成技術の発達と戦争、軍需産業との連関。
>
> 「公害」問題の深刻さは意識されていたが、
> 個々の現象を単独に捉えるのではなく、
> 自然環境の破壊という大きな問題系の中で
> 関連づけて考えるべきであることを、やや扇情的だが
> 平易な筆致で描き出したところに意義がある。
この問題が提起されてから半世紀になろうとしてますが、
根本的にはまだあまり改善されているとは言えません。
そうしたなか、いま人間を含む生態系に世代を超えて影響が顕在化してきている・・・。
あの頃まだよく意識できなかった影響が、その子、その孫に
・・・具体的には人権にも関わる繊細な事象なので語るのは控えますが・・・
・・・具体的には人権にも関わる繊細な事象なので語るのは控えますが・・・
目に見える形で出てきているのではないか。
的外れであればいいのですが、そんなふうにさえ思えるのです。
そして、ここに提起されていなかった問題が一つ。
ここで既に提起されていた問題の本質に無自覚無反省に、
1974年当時以降に大きく変化してきたのが、
1974年当時以降に大きく変化してきたのが、
人間の暮らしの根本である衣・食・住の一つである住み家、住宅。
オーガニック自然素材や、無農薬有機栽培など、
衣や食の安全性に目を向ける人が増えてきている一方で、
住に関してはかなり無頓着なんじゃないでしょうか。
高効率、大量生産、短期的な経済性、大量消費を前提とした住宅建築。
その流れが官民挙げて推進され、そのなかから今、
国外の森林の皆伐による環境破壊や国内の森林資源管理の崩壊、
大量の産業廃棄物の問題などだけでなく、
この化学物質にまみれた住環境による
それは恐らく、従来の環境の汚染と文字どおり複合的に相乗作用を生み、
半世紀を経てそんな環境で育った人たちが親になり、
その子や孫にも直接的・間接的に、更には遺伝子レベルにまで及んで
受け継がれていき始めている・・・。
受け継がれていき始めている・・・。
まさに今、そんな段階にまで来ているのではないでしょうか。
これは何も政府や大企業だけの責任ではありません。
いわゆる専門家と言われる建築家や工務店の無自覚、
建て主や住まい手の無知も、問題に拍車をかけてきました。
そんななか、前項でも述べていますが、国連がSDGsを提唱し、
政府も重い腰を上げ始めました。
現政府はどうも産業界・経済界を代表する立場のようですから、
これをその観点で達成しようというのが主たるスタンスでしょう。
一方で、市井の心ある職人や建築家の立場からの地道な努力もあって、
古来の知見に根差した伝統文化や技を守り発展させようという観点から、
「気候風土適応住宅」というジャンルも公認されるようにもなりました。
化学物質に頼った大量生産大量消費を前提とした住宅建築は、
いくら高気密高断熱省エネ設計にして繕ったところで、
その本質はサステナブル(Sustainable=持続可能な/ずっと続けていける)
とは言えません。
むしろ今や住宅の高気密化でかえって新建材の化学物質が閉じ込められ、
そのため電気に頼った換気装置を常時作動させないといけないという
矛盾さえ生じています。
「複合汚染」が発表された頃には、まだほとんど存在しなかった、
住環境の複合汚染。
それが顕在化してきている今、私たち一般の住まい手や建て主も、
その問題に真摯に向き合わなければ。
そのためには、もっともっと知ることです。
生涯をかけてローンを組んで建てた家に苦しめられることのないように。
複合汚染・・・住からの視点(雑感)☜click(元記事)