大阪で伝統構法の家づくり!・・・石場建て/木組み/土壁 ~今さらマイホーム新築

五十代も後半、自宅を再建新築。 今さら住宅ローン!建売りのローコスト住宅か…。 で、行き着いたのはやっぱり自然素材、地元の工務店。 手刻みの材木、金物をほとんど使わない躯体、美しい木組み。 間取りの打ち合わせがほぼ終わった頃、棟梁がつぶやいた。 「ホンマは石場建てがエエんやけどなぁ・・・。」 「えっ?石場建てってなんですのん?!」・・・ 家造り、伝統構法について、発信していきます。

アジアの家・・・竹の家、木の家、土の家・・・アジアの気候風土と繋がる伝統構法

竹小舞の壁が組まれていくにつれ、
それがアジアの民家とつながっているということを実感したことは、
3/18の記事「​竹の家・・・竹小舞/えつり掻き~土壁​」で述べたところです。

(↑竹屋さんが作業効率を上げるために自ら考案した仮置き具)

それで東~東南アジアの民家にちょっと目をやってみました。
といっても、ひとつの国の中でも様々な気候風土があって
一口にどこどこ国の家は・・・とは言えないし、
あくまでも私感、印象でしかないことをお断りしておいて、
詳細や専門的なことはその筋に譲りたいと思います。

さて、日本の民家と同様に開放的な家という意味では、やはり
最も共通している印象のある地域は隣の韓国朝鮮・中国ではなく、
東南アジアじゃないかと思います。
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(↑ベトナムの伝統的民家)
タイやベトナムの民家を見ると、高床式で屋根の軒が大きく、
雨や湿気や強い陽射しを遮りながらも風通しのいい構造が目につきます。
写真のベトナムの家なんかは、トタン葺きではありますが、
日本家屋との親和性はデザイン的にもかなり高いように見受けられます。

(↑タイの伝統的民家) 
さすがにタイの木造家屋は屋根の形状がいかにも東南アジアって印象ですが、
タイには竹を主材とする家もあって、竹小舞の家のようです。
(←タイの竹の家)

北上して、台湾。柱の露出した真壁の土(漆喰)壁は、
下地は竹小舞かどうか分かりませんが、日本の民家に似ているようです。
外壁の下半分がレンガ積みのように見える部分は、中国大陸風かな。

(↑台湾の伝統的民家)

その点、沖縄の伝統民家は、
雨や湿気や強い陽射しを遮りながらも風通しのいい構造という意味では、
中国大陸より東南アジアに共通した特徴が見られるようです。
ただ、屋根は台風による暴風を受け流すのに適した寄棟になっています。
この沖縄の民家については、沖縄好きで琉球民謡を学んでいる私としては
さらに掘り下げたいところですが、それはまたの機会に別稿で…。

(↑沖縄の伝統的民家)

さて、すぐ隣の韓国朝鮮の民家も、
レンガ積みが大きな比重を占めるということで言えば中国大陸的と言える一方、
真壁土壁で中国より庇が大きいということで言えば日本的な側面もあり、
大陸性気候とモンスーン気候の両方の要素を兼ね備えているようです。
韓国の伝統的な韓屋(hanok)には冬用の壁で囲まれた部屋と
夏用の開放的な部屋があると聞いていますが、
その夏用の部屋は「日本の家は夏を旨とすべし」と共通の趣旨のようです。
一方、韓屋の冬用の部屋と同様な家は、日本の寒い地方でも見かけません。
煉瓦造りの家もオンドル(床暖房)も知っていたはずの昔の日本人が、
なぜそれらを取り入れなかったのか、どなたか教えていただきたいと思います。

中国大陸的といえば、やはり本家の中国の家を見ておかないといけません。
とはいえ一口に中国と言っても、ものすごく広大で多様です。
南の方の少数民族の民家には日本の民家に似てるのもあるようですが、
圧倒的な数で全土に広がる漢族の様式が、根底にあるように思われます。

即ち、開口部があまり大きくなく、日干しや焼成の煉瓦を積んだ閉鎖的な壁で、
石や磚(せん=タイル)の床で、軒は浅い・・・。
まさしく、比較的乾燥し寒い地域の大陸性の気候風土に根差した様式。
降水量が多く蒸し暑い夏を旨とする日本の民家とは、かなり違います。


(↑アイヌの伝統的民家)
寒いと言えば、我が国に戻って北海道アイヌの伝統民家チセ。
なんと同じく極寒の北欧の高気密高断熱の家の真逆をいくような印象の、
草でできた家・・・ブーフーウーの藁の家に見えます。
堀建て丸太で骨を組み、茅や笹などで屋根も壁も葺かれているそうです。
それでいて、外気温氷点下、室温は5℃、体感温度は20℃なんだとか。
その秘密については「​アイヌ伝統民家『チセ』​」(☜click)に詳しいので、
ぜひ一読をお勧めします。

この、古来の寒さを乗り切る智恵は、
どうも土間に秘められているらしいのですが、
そういえば地方のかなり古い農家古民家(町家でなく)は、
居間が板の間でも寝室は土間だったそうです。
それは、縄文・弥生時代の竪穴式住居からの伝統と言えそうです。

(↑弥生時代の復元住居・・・今に残る古民家へのつながりを感じます。)
そこに弥生時代ごろから高床式の住居が支配階級からもたらされ、
次第に折衷様式が広まり、長い長い歴史の中で、
地方地方の気候風土に適した民家の様式が成立していき、
私たちが今知っているいわゆる古民家になっていきました。

アイヌの人々が明治以降「進んだ」和人の住宅様式を半ば強要され、
その気候風土に合わない様式で住環境がかえって悪化したといいます。
それと似たような現象が、明治以降の西洋様式の導入と、
戦後のアメリカ様式の導入と、高度成長期以降の新建材の導入ではないか。

東南アジアから東アジアにかけての地理的・文化的な文脈から、
二千年以上の歳月を経て確立した日本の気候風土に適合した、
木組みと竹と紙と土でできた伝統構法の建築様式。
(参照:​気候風土適応住宅​)

ハウスビルダーや新建材や工場生産住宅が全盛の今、
それはそれで需要と供給がマッチしたものではあります。
一方で、「​日本の​普請文化を世界遺産に!​」​という運動も始まっています。
アジアの家の一環として古来の日本の叡智の詰まった伝統工法の家が、
家を建てたいと思い立った人たちの選択肢の一つとして復権できれば・・・。

日本の周囲の国々の伝統的な家を眺めていて、
あらためてそんなふうに思いました。