2019年6月26日、ようやく「起工式」を迎えることができました。
いわゆる地鎮祭に相当する式を、仏式では起工式と言います。
昨今、地鎮祭そのものがかなり減ってきているようですが、
これを仏式で執り行うというのはかなり珍しいと思います。
地鎮祭は、その土地の神様に挨拶して鎮めて利用の許しを得る・・・
神を鎮めることで無事安寧を祈る儀式だそうです。
一方で仏式の起工式は、仏光照護のもと機縁の純熟を喜び、
仏恩に感謝して完遂の決意をあらたにする儀式・・・。
つまり、たくさんの人々や時機のご縁をもって建築の運びとなったことを、
施主家族と工事関係者が共に喜び合い仏さまに感謝するとともに、
工事を責任を持って安全にやり遂げることを仏前に誓うわけです。
独居の父の介護のために父の家に隣接する土地に転居したいと思っていたら、
その土地がちょうど売りに出されてその縁で手に入れることができ・・・
その時の自宅を不本意にも手放さざるを得なくなった2年前の事故が縁と、
父が入院してしまった縁で、父の家に仮住まいすることになり・・・
とりあえず住むに困らないなかで新築を計画するうちに、
十数社のなかからご縁をいただいた日伸建設にお願いすることになり・・・
そのあと父の往生から浄専寺とのご縁をいただき、
日伸建設が若手に任せたいと田中棟梁とのご縁をいただき・・・
無垢材を使った在来工法で計画が進んでいたところ、
小西親方(社長)の一言「石場建て伝統構法の家がホンマはエエねんけど…」と、
その言葉に何故か惹かれてその縁で調べ始めて変更を決めることになり・・・
そしたら棟梁が学生時代に伝統構法を研究する先生に師事していたという縁があり、
その先生や他の大学の伝統構法を研究している先生方ともご縁をいただき・・・。
そんなこんなの人間には想いもよらない「縁」が積み重なって、
「~なりますように!」とか「~お願いします!」というような「自力」を超えた
何らかの「因果」「縁」の働きを、この機に喜び合い感謝したいと、
仏式の起工式を執り行うことになったわけです。
こういう自分の意図しない働きを仏教では「他力(仏の力)」と言うそうです。
今こうして生かされているなぁ・・・と、しみじみ感じ入る式になりました。
祭壇は、自宅の仏壇の仏具と日伸建設の檜材などを使って自分で荘厳しました。
最終的にはご住職に確認していただきましたが、十分だと言っていただけました。
浄土真宗ではもちろん神への捧げもの等はしないので、いたってシンプルです。
ご住職の表白と読経のなか、参列者が順々に焼香し、念仏します。
勤行の後、本来は浄土真宗の起工式では必要ないのですが、鍬入れをしました。
これは、棟梁と施主が一緒に工事完遂を誓う伝統文化と捉えています。
親方の指導のもと、私と棟梁が鍬を入れました。二人とも初体験です!
余談ですが、浄土真宗では願掛けやゲン担ぎ等の因習を否定します。が!
実は6月26日は「一粒万倍日」「天赦日」今年最強の日なのです。
それにつられたわけではありません・・・田中棟梁が提案してくれた日なのです。
信頼しお任せする棟梁が直々に選んでくれた日!…それを第一に尊重しました。
これもご縁だと感謝です。
(ゲン担ぎでいうと、この日は「仏滅」なんですけどね。エエ加減なもんです。)
天気予報ではこの日は梅雨入り、雨になるかもとのことでしたが、
それが、読経が始まるとサァ~ッと風が。ご本尊が倒れかかって焦りましたが、
テントの下、文字どおりお陰で苦行にならずに小一時間があっという間に過ぎました。
式の後は、日伸建設の皆さんに狭い自宅に上がっていただいて、
ギュウギュウ詰めの昼食会。
このごろ地鎮祭をしても形式的で昼食会などしないことも多いそうですが、
日伸建設のような地元の工務店の大工さんたちとは、
こうして顔の見えるざっくばらんなお付き合いをしたいもの。
ただの買う側、売る側という関係でなく、家は施主と大工が一緒につくるもの。
こういうお付き合いのできる工務店とのご縁をいただけて、
しかも石場建て伝統構法という世界にお陰でご縁をいただけて、
家族も揃って、本当にいっぱいの幸せに浸ることのできた一日でした。