大阪で伝統構法の家づくり!・・・石場建て/木組み/土壁 ~今さらマイホーム新築

五十代も後半、自宅を再建新築。 今さら住宅ローン!建売りのローコスト住宅か…。 で、行き着いたのはやっぱり自然素材、地元の工務店。 手刻みの材木、金物をほとんど使わない躯体、美しい木組み。 間取りの打ち合わせがほぼ終わった頃、棟梁がつぶやいた。 「ホンマは石場建てがエエんやけどなぁ・・・。」 「えっ?石場建てってなんですのん?!」・・・ 家造り、伝統構法について、発信していきます。

屋内造作は大工の才覚 ~ 匠の感性が光る手作り ・・・ 本物の大工の証

9/27稿「​・・・本物の大工の証​」で先々週の大工造作について書きましたが、
自ら刃を研ぎ鉋をかけ鑿を振るうことのできる建築の職人を「大工」と呼称しました。
 
近年の、設計は建築士まかせ、刻みは機械任せ(プレカット)、
材木や建材を選ぶこともなく、現場で自ら工夫する必要もなく、
ただ与えられたものや市販の新建材を組み立てるだけの職種は、
広い意味で大工は大工でも、果たして「大工」なのか・・・。

作りが甘いとか、作業がいい加減だとか、プロなんだからとか、
愚痴ったり嘆いたり一方的にクレームをつけたりする論調が、
特にローコスト住宅系の建て主に散見されます。

けれど、そもそも専門技能をあまり必要としない作業員、つまり誰でも作れるからこそ、
下請け孫請けに丸投げし、工期を圧縮することで、まず人件費を削ることができる・・・。
その上でその価格が成り立っているのに・・・と思ってしまいます。

そんな家でも、それも需要と供給の関係だし、現代のニーズではあるので否定はできません。
そういう建築に携わる作業員も、それはそれで必要な大切な職種ではあります。
 
けれど、低賃金長時間労働で短い工期に急き立てられる仕組みのなかで、
そこに大工という職人の誇りや技や工夫や気配りを期待するのは、
(手抜きは論外としても)酷というものではないでしょうか。
 


どんな家を建てようと、どうせ庶民はローンに生涯をかけることになります。
そしてそこで、生涯に渡り暮らしを営むことになります。

それなら、大企業の利潤のための支払いではなく、その分を直接現場に還元したい。
それで、いわゆるローコスト住宅と比べれば2割?3割?増しになるとしても。

大企業や大資本を中心とした近年の住宅建築において、
作業員を雇用する側もそこに発注する建て主側にも、
現場で汗水流して働く人たちを大事にしない風潮が蔓延しているような気がします。

大工に憧れて職に就いたものの、建築作業員として扱われるだけなら、
技能の向上は見込めないし、創意工夫を発揮できる機会も得られません。
おまけに人件費をたたかれて生活も安定しないようなら、若者は夢も誇りも持てません。

そんなふうに「職人」としての「大工」が育つ機会がなくなっていくと、
ますます特別な技能を必要としない建築作業員が求められる悪循環に陥ります。

そんな、若者の大工への志が挫かれるような社会構造が広がっていくならば、
何千年に渡り受け継がれ発展してきた日本のものづくりの技や心は、
ひいては衰退へと向かっていくのではないでしょうか。

本物の「大工」「職人」と一緒に家づくりをするという価値観を、
私たち発注する側が正当に評価し、それを選択肢に入れて家づくりを考える・・・。
 
そのことで、次元の違う我が家と家族の心豊かな暮らしを手にすることができます。
そのことが、若者の明るい将来にも、日本の未来を紡ぐ人材育成にもつながっていきます。
 
 
 
・・・そんなことに気付かされ、考えさせられる大工造作が、
先週も次々と進んできました。

9/28(月)。棟梁、何やら刻んでいます・・・。


おおっ、階段を上がったところの欄干ですね!


ここ、どうなるのかな?って思ってたんですが、縦格子でも入るのかな? 
現物合わせで鑿や鉋を駆使して、ホゾ組み(凸凹)しています。

普通なら、鉋もかけない材木をコーススレッド(木ネジ)で骨に組んで、
MDF(中密度繊維板)の枠で縁取りして、石膏ボードで中空に挟むだけ。
クロス屋さんがそれにビニルクロスを貼ればお終いのところ。

格子み溝が切ってあって、柾目の美しい無垢赤杉板がはめ込まれていきます。


これって、​棟梁が前に手掛けた家の階段手摺​(☜click)のバリエーションちゃう?・・・
でも、ぜんぜん違う!



全て現しなので、釘も木ネジもないホゾ組み鉋掛け無垢化粧材の木組みです。
構想、デザイン、製作・・・全て棟梁オリジナル。
また見せ場がひとつできました。階段の上り下りが楽しくなります。

9/30(水)、寝室の窓に障子の敷居が据え付けられ始めました。


ここは向いの家の窓と向き合っているので、外側の面格子+内側は紙障子。
そして東面で朝陽が射すのと夜は街灯が明るいけど雨戸はないので、
内側は更に襖で遮光できるようにお願いしました。

障子は普通は引違いですが、それでは片側しか開かないので、
紙障子2枚+襖2枚を引き込んで全開できるような工夫もお願いしました。


ここは外壁なので半壁引込代にするわけにもいかず、造作はかなり大変です。
翌10/1(木)に持ち越して、ようやく完成しました。

10/3(土)。若手大工くん、小上がり書斎の床下に入って、造作中・・・。

そう、床下収納。これも一切合板は使っていません。
大きな引出しなので、出し入れでガタがこないように、かなり微妙な調整をしています。

そしてその引出しの前板の真ん中を鑿で浅く掘り始めました。
傍らには、若手大工くん自らデザインして桜の木で作った取っ手が。

写真ではハッキリは見えませんが、よく見ると表面に名栗風の彫り物が施してあります!

「気に入ってもらえるかなぁ・・・」不安げな表情。
「めっちゃカワイイやん! 銘を入れとき。記念になるわ!!」と私たち。
嬉しそうにホッとする若手大工くん。気持ちが通じる瞬間です。



棟梁が現役を引退するであろう三十数年後には、
匠の域に達している彼にこの家のメンテナンスを引き継ぎ託すことになるはず。
私らは九十代。さて、此岸か彼岸か・・・。

同日、棟梁が持ち込んできたのは、丹波鞍馬という自然石2個。

京都の鞍馬で産出する酸化鉄で赤茶色く覆われた黒雲母花崗岩である鞍馬石の仲間で、
京都丹波地方の亀岡で産出するかなり高級な石材だそうです。

石場建てのこの家、家本体は礎石の上に立っていますが、
玄関ポーチの大庇を支える柱も石場建てにしないと、地震のときに歪んでしまいます。
その礎石・・・家の正面、顔に当たるところに、この丹波鞍馬を使おうというのです。

家本体の礎石は上面を平らに切り削ってあるので、
柱は真っ直ぐ鋸を引いてあれば問題なく立ちます。

けれどこの礎石は自然石。柱が立つ面は平らではないので、
そのデコボコに合わせて柱の底面の木口(コグチ=断面)を削る必要があります。

これを「ひかりつけ」と言うそうです。


私たちは内心、どこかにひかりつけが施してあればなぁ・・・と思っていました。
でもその手間は並大抵ではないので、もう諦めていたんです。・・・そしたら!

棟梁、柱の底面を石に当てがって表面のデコボコを写し取り、

木口を鑿で削り始めました・・・!


この続きは、また後日。

 
「大工」とは何か?・・・もうひとつ、匠ならではの創意工夫。
手技の見事さだけでなく、想いを形にする感性と想像力。
それも大工の証!

ハウスメーカーの営業は、「そんな大工、もういませんよ!」と言う。
でも、ここに現にいます!
そしてその気で探せば、インターネットのこの時代、何人も見つけられます。

この家は石場建て伝統構法ですから、一般的な選択肢ではないでしょうけど、
本気で家づくりを考えるなら、本物の大工さんを探す・・・。
ぜひそんな選択肢も視野に入れて考えてみるいいと思います。
 
 
家づくりにおいて、ワザを買うのか、モノを買うのか・・・。
選んでいるのも決めているのも、私たち建て主自身。